みなさんはとうもろこしの食べ方で、1番好きな食べ方はなんですか。私は焼きもろこしが1番好きです。塩で茹でて食べる、シンプルな食べ方も好きなんですけれど、やっぱり焼きもろこしの香ばしさと甘み、それからなんといってもほんのりと焦げたお醤油の味と香りに猛烈にひかれます。主人はちょっと邪道かもしれませんが、とうもろこしの実をとったものをフライパンでバターで炒めたものが1番好きなのだとか。人それぞれ、好みがありますね。血液型は関係ないという人もいれば、血液型によってある程度のことがわかるという人もいます。諸説ありますが一般的な見方としては、A型は几帳面だといいます。しかし、部屋の整理の仕方が几帳面かと言うと、O型のわたしから見ても汚いなというA型の人を数多く見てきました。ところがとうもろこしに関しては、A型は分かってしまうのです。わたしはいくら挑戦してもとうもろこしを綺麗に食べることはできませんが、A型の人は本当に綺麗に食べるのです。今度、ぜひ観察してみてください。
政府の原子力災害対策本部(本部長・菅直人首相)は9日、東京電力福島第1原発から半径20キロ圏外の緊急時避難準備区域について、放射性物質の除染などの復旧計画を策定してもらい、9月上旬をめどに解除する方針を決定した。
対象住民は約5万8500人で、うち約2万5千人が避難。実際の帰宅開始時期は、解除後に市町村ごとの判断で決まる見通し。実現すれば、原発事故を受けて設定された避難区域の解除は初めてとなる。
菅首相は「住民が安心して帰れるよう、どの範囲まできちんと除染できるかについても次の段階の問題として積極的に取り組んでほしい」と述べた。
緊急時避難準備区域は福島県の広野町全域と南相馬市、田村市、楢葉町、川内村の一部。政府は、福島第1原発の安全性確認で水素爆発や原子炉冷却ができなくなる可能性が低くなったと判断。放射線量を調査し、「安全性は基本的に確認された」と評価した。
市町村に学校や病院の再開、上下水道の復旧、グラウンドの除染など復旧計画を約1カ月間でまとめるよう要請。原子力安全委員会から解除に関する助言と5市町村の復旧計画が出そろった段階で一括解除する。
警戒区域と計画的避難区域の見直しは、来年1月中旬までに原子炉を冷温停止状態とするステップ2の完了後に検討する。また警戒区域のうち、これまで認めていなかった3キロ圏内の一時帰宅を、8月中にも実施することを決めた。
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【from Editor】
今年は辛亥革命の勃発から100年に当たる。1911年10月10日、湖北省武昌で上がった清朝打倒の狼煙(のろし)は各地に広がり、翌12年、孫文を指導者とするアジア初の共和国、中華民国が誕生した。
本紙でも連載企画「孫文の志 未(いま)だ成らず 辛亥革命100年」を、7月18日付から毎週月曜日の国際面に掲載している。その第2回(同25日付)で「辛亥革命と日本とのつながり」をテーマに取り上げたのが、西郷四郎だった。
小説「姿三四郎」のモデルとされる柔道家として有名だが、実は、辛亥革命の様子を現地から書き送った新聞記者でもあった。掲載後、「戦場特派員」西郷四郎についてもっと知りたいとの声が寄せられたので少し紹介したい。
長崎の地方紙、東洋日の出新聞に籍を置いていた四郎は革命勃発時45歳。「山嵐」の得意技で知られた希代の柔道家のイメージからは想像もできないが、当時、持病のリウマチを抱え、体力的に「大丈夫か」という懸念の声さえ社内で上がる中での渡航だった。
家族には「国内旅行」と嘘をつき、四郎は11年10月19日、上海行きの船に飛び乗った。漢口、武昌から長沙に足を延ばし、革命軍の大物とのインタビューにも成功するなど、12月10日までの約50日間に書いた記事は16本。社内の不安をよそに精力的に取材を行った。
四郎の記事を読んでいて、おやっと思ったのが、革命を戊辰戦争になぞらえたくだりがあったことだ。四郎は、朝敵となった会津藩の出身である。
「…現在当武漢に於ける両軍の気配より察するに、維新当時薩土の兵が奥羽街道より吾が会津に攻め寄せんとする時、吾会軍之を白河城に防戦し…対陣三ケ月余の久しきに亘る…武漢両軍も…百日対陣の二の舞を演ずるに至らざるや…」(11月20日付)
この時点では、清朝の軍隊の方が官軍で、革命軍は賊軍だった。戊辰戦争の際は「薩土の兵」(薩摩藩と土佐藩の軍)が官軍であり、会津藩は革命軍と同じ賊軍である。四郎に革命軍寄りの記事が多いのも当然といえるだろう。
記事の署名も、示唆に富む。当初は「西郷四郎」なのに、11月27日付から「西郷北洲」に変わっている。薩摩藩を率いた西郷隆盛の号(南洲)を意識しての命名なのは間違いない。革命支援者で、飲み友達だった宮崎滔天(とうてん)から「西郷武士道」と呼ばれていた四郎。取材中、どんな心境の変化があったのだろうか。興味は尽きない。(副編集長 藤本欣也)
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1番好きなとうもろこしの食べ方はなんですか
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